日本百名城・佐倉城訪問記(ひよどり坂から武家屋敷まで)〜2022年1月〜

こんにちは、ボビーマジックです。

今回は、佐倉市にある千葉県で唯一日本百名城に選ばれた、佐倉城の紹介記事です。

佐倉藩は、千葉県では一番大きな石高を誇る藩(11万石)だった為、居城の佐倉城もかなり大きな規模です。

でも石垣のない土塁の城なので地味なのこと、城の建物が無いこと、さらには歴史民俗資料館(歴博)がやたらと目立つので、城の存在感はかなり薄い感じですが・・・。

一周すると、面白い発見の連続でしたよ!

そこから武家屋敷の訪問も合わせて、ぜひ御覧くださいネ♪

目次

佐倉城

まず、佐倉城一周のコースはこちらの写真から。

馬出し空堀→右上の出丸2つ→本丸→二の丸→この写真の現在地→姥が池〜菖蒲園→歴博横

と散策してみました。

佐倉藩時代の遺構と、旧陸軍駐屯地時代の遺構が混在しているという、不思議な記事になりましたがどうぞお付き合いください♪

馬出し周辺

2022年3月まで、歴博の前の第一駐車場が工事中のため、元テニスコートの第二駐車場に車を駐めてスタートです。

二の丸前の馬出しの空堀越しに歴博の建物を撮ってみましたが、まるであちらが本丸のようですね!

実際の本丸はこの真後ろになり、歴博のある辺りはかつて、上級武士の武家屋敷が立ち並んいたそうですヨ。

馬出しから場内へ通じる門は、この様に写真が残されています。

明治に撮られた写真なので、少し荒れた状態にはなっていますが、木造復元するには十分な資料だと思います。

佐倉市長様、復元はいかがでしょうか?(^^)

この門から奥が二の丸にあたるのですが・・・。

その前に、近くにこのようなものが。

石で作られた仕切りがずっと奥まで続いていて、かなりの規模のトイレだった事が分かります。

ですが、ボビーはどちらかというと、

ボビー

トイレ、しかも数十年前のトイレ跡を保存して
なにがいいんだろう?

と、思う派です。次に行きましょう!

へび坂から薬医門方面へ

へび坂を下り、出丸を見学してから本丸を目指すことにして、さっそく坂道を下ります。

残念ながら、城内で通行禁止のところがあったので、薬医門から一旦堀の外に出る羽目になってしまいました。

看板に面白いことが書いてありますので、看板もアップしますネ!

そんなに由緒ある門だったとは・・・。

ですが、

ボビー

そんなに古い門には見えない・・・。

多分、お寺で門を新築しちゃってますネ。

城外から出丸へ

すっかり、城の外にでてしまいました。(^_^;)

(城内の通路が)通行禁止では仕方ないので、堀に沿って進みます。

今は何も建っていないので、単なる土手のようですが、往時は櫓や、もしかしたら塀も備えてあって、攻め寄せた軍勢と対峙できるだけの拠点だったのだと思います。

出丸を超えると城内の入口があり、右手にはさらに土手が続いています。

ひよどり坂も気になりますが、一旦城内に戻りますネ♪(ひよどり坂は後ほど♪)

再び城内に入り、出丸を横目に本丸方面への坂道を登ります。

夏場だったら、大汗をかいていることでしょう。

ボビー

冬は城攻めのベストシーズンです♪

などと考えているうちに、いよいよ本丸です!(^^)

本丸

1/28の佐倉城本丸の様子です。

ちなみに去年の3/9に訪れた時の写真がこちら。

ボビー

カンザクラがきれいに咲いていました。
ソメイヨシノのシーズンと合わせてオススメ!

2月中旬からは梅、3月に入るとカンザクラ~ソメイヨシノと桜の季節になって、普通に散歩で来ても楽しいですよ!

天守跡の碑が、本丸を囲む土手の一角に建っています。

この石碑の脇に、興味深い案内がありました。

ボビー

本丸には大きな御殿があって、さらに土手の上は
櫓や塀でしっかりと囲まれていた様です!

本丸には三層櫓とこの銅櫓あったようで、こちらもばっちり写真に収められています。

佐倉市長~!

本丸を守る門を一の門と呼んでいたようですね。

ボビー

要所ごとにある案内看板をたどっていくだけでも、本当に面白い!

二の丸に向かいます。

二の門周辺

本当に立派な城郭だったんですね!

こちらにも御殿が建っていて、本丸御殿が老朽化してからは、二の丸御殿に歴代藩主がお住まいになっていたとのことでした。

二の丸の片隅に「佐倉城の礎石」という案内坂が建っていました。

旧陸軍が駐屯地とした際に、建物の礎石に佐倉城の礎石を流用したとのこと。

今ではネコちゃんが、水飲み場として有効活用していますネ。

ハリス像・堀田正睦公像

日米修好通商条約の、あのハリスさんですか!

日米修好通商条約。歴史の教科書以外ではほとんど聞かない言葉ですね・・・。(^_^;)

ここで、そのハリスさんに出会うとは・・・。

こちらは、堀田正睦公とあります。

ハリスは呼び捨てで、殿様にはちゃんと「公」を付ける。

こういうの嫌いじゃないです♪

堀田正睦公(ほったまさよし、1810〜1864)は、幕末の黒船来航時の幕府老中で、当時のアメリカ総領事館のタウンゼント・ハリスと日米修好通商条約を結ぶ際、開国派の中心人物として、条約の締結実現の大きな原動力の一人となった人物です。

不平等条約だったとはいえ、開国に向けて実際に舵を切った人の一人ですネ!

2つの銅像の周辺の空堀が、馬出しの空堀と並んで最も整備された空堀でしたので、ここで1枚♪

ボビー

本丸と二の丸の間の空堀が、今でも最も深くて規模も大きいのですが、
樹木が生い茂っていてまるで森林のようになっていました。(^_^;)

佐倉市長〜!(整備求む!)

三の門跡を抜け、自由広場方面に向かいます。

自由広場周辺

自由広場の隅の方にちょっとした事務所があり、そこで百名城のスタンプが押せるようになっています。

御城印は・・・?

ボビー

京成佐倉駅前の観光案内所など、城外でしか販売がない模様です。(^_^;)

佐倉市長〜!(改善求む!)

(買ってきました。)素敵な御城印ですね!

ちなみに1/28の時点では、自由広場の梅は全く咲いていませんでした。(^_^;)

今年は寒い日が続くので、例年より開花が遅いようですヨ。

自由広場の北側の階段を降りて、姥が池というところに向かいます。

姥が池〜菖蒲園

悲しい言い伝えのある池のようですね。

ふと見ると、この近くに妙な階段が・・・。

12段の階段が寂しそうに、ぽつんとたたずんでいます。

「旧陸軍の高所落下訓練として使用されていた・・・。」

と、説明書きが。

ですが、この階段の高さはなんと、約2.5メートル!

ここから落ちたら、普通に怪我どころか、下手したら骨折しますよ。

ボビー

こんなことやってるから戦争に負けるんだよ〜。

と思ったのは、ボビーだけではないと思います。(^_^;)

この周りは菖蒲園として整備されています。

5〜6月には、こちらの散歩も良さそうですね!

一旦、城外に出ます。

お堀端〜歴博

佐倉城の外周から、今度は歴博側の入口を目指します。

お堀のある風景も、いいですね♪

通常、車で来る方はこちらの歴博側から入るのが多いと思います。

途中、駐屯地時代の衛兵の詰所跡を眺めつつ・・・。

無事、歴博に到着です♪

周り方にもよりますが、ぐるっと一周しても1時間くらいでしょうか?

ちなみに、歴博も元気に営業中でしたヨ!

歴博HPはこちらから→https://www.rekihaku.ac.jp/index.html

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この記事を書いた人

千葉(九十九里地域)在住。2人の娘のパパで、奥さんも一緒にブログを楽しんでいます♪福島県出身なので、千葉~福島間の記事を中心に、温泉やお城、グルメ情報などを発信していこうと思いますので、よろしくお願いします!
2023年4月以降、月間PV数が1万を超えてきました。たくさんの方にご覧頂いて本当に嬉しく思います。
(2023年3月には5万PVを突破しました。本当にありがとうございます!)
今後も、地元房総と故郷福島を中心に、地元民目線でいろいろご紹介していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします♪

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