こんにちは、ボビーマジックです。
今回は丹羽家10万石の居城、二本松市の霞ヶ城にやってきました。
福島県に3つある日本100名城の中で、ボビーの中では一番地味な印象だったここ霞ヶ城でしたが・・・。
散策しながらいろいろなことを知ることが出来て、とても有意義な城攻めになりましたヨ。
結論。お城は見所満載!幕末の二本松藩は、武士の鑑です!
なぜそう思ったのか?
ぐるっとお城を一周してきましたので、一緒に探しにいってみましょう!
霞ヶ城箕輪門から三の丸広場へ

東北道の二本松ICから約10分。霞ケ城の正面駐車場に到着です♪(^^)
撮った時には気がつきませんでしたが、縫い物(編み物?)をしている女性は誰でしょう?
詳しくはこちらから→二本松少年隊/二本松観光連盟(リンク先で二本松少年隊をクリックして下さい)
史実を紐解くと、このお母さんは必死の思いで、戦に向かう我が子の名前などを縫い付けていた史実が存在するようでした。
すぐ裏手にある箕輪門の方へ向かいます。



夜のライトアップもきれいですよ!


三の丸広場です。 この銅像は山田修翁・・・、ですか。
維新後の二本松の復興に尽力された方、とのことでした。
ここは有名な「二本松の菊人形」の会場で、ボビーもずいぶん前に来た記憶がありますが、あまり覚えていません・・・。(^_^;)
先に進みます。


このような看板が。
あれ?本丸御殿? え⁉ 行ってみましょう!
御殿?から本丸を目指して




後で看板をよく見てみたら「本坂御殿」と書いてありました。
きっと、ボビー以外にも早とちりした被害者がいるにちがいありません。(^_^;)
気を取り直して上に向かいましょう!(完全に山登りです・・・。)


途中、戊辰戦争での藩士自刃の地の碑が建っていました。合掌。
まだまだ上を目指します。


更に行くと、「日陰の井戸」というものがありました。
印西市にある月影の井戸、鎌倉市にある星影の井戸とあわせて、「日本の三井」と看板に書いてあります。
ちなみにグーグル先生に日本の三井で検索すると、財閥の三井しか出てきませんのでご注意を。(^_^;)







ということは、500年以上続く道!
歴史を感じる道ですね!
きっと、伊達政宗も通っていると思いますヨ!
きっと・・・。




ここから見上げて思うに、このお城は普通では絶対に落ちません、無理!
角度が急すぎるので、上からの攻撃に耐えられずに転げ落ちること間違いなし。
矢や鉄砲、あるいは石ころですら有効な攻撃となって城を守るでしょう。
(残念ながら、戊辰戦争では精鋭部隊が白河方面の出撃中から戻ってこられずに、兵力不足で落城しています。)
本丸、天守台




天守台そばに、家老自刃の地の碑が建っていました。合掌して、天守台に登ります。




ここで、ボビーにとって驚愕の出来事が起こります。



あれ?駐車場がある?
天守台近くにも駐車場があり、ほとんどの人はこちらから天守台を目指している様でした。(^_^;)
「うそだろ、おい・・・。」(心の声)



天守台にはそれなりに人がいるのに、
どうりで途中で人に会わない訳だ・・・。(^_^;)
搦手門から庭園へ


軽いショックを受けながらも、どうせならと思い、行きとは別のルートで降りる事にしました。
こちらは、天守台のすぐ裏手にある搦手門の様子ですが、この石垣に門が構えてあったと思うと壮観だと感じるくらい、大きな石垣の門でしたヨ!


下りは意外に早く、あっという間に三の丸まで到着する事が出来ました。ちょっと見学してみましょう。









茅葺屋根だけあって、「火気厳禁」の札だらけでした。
結論。「火気厳禁の館」と名付けて、ここは離れましょう。


後ほど調べてみたら「火気厳禁の館」は、「洗心亭」というんですね!
由緒正しい建物のようです。(^_^;)
ところでボビーは御城印を集めているのですが、お城のどこにも売店が見当たりません。
ググってみると、駅前の観光案内所で販売しているようです。行ってみましょう!
二本松駅


お城の駐車場から数分で二本松駅に到着します。
ここで、ボビーが二回目の衝撃を受けることになります。



こちらで御城印は売っていますか?



二本松市としての公式の御城印はありませんよ。
実は御城印について、前もってグーグル先生で調べていたのですが、
(民間のどこかがイベント用に作った御城印が出てきたので)てっきりあるものだと思っていました。
そして、たまにボビーの様に御城印を求めに来る人がいるとも聞きました。(^_^;)
仕方がありません。涙
あとがき
二本松城は、あの独眼竜伊達政宗も力攻めには苦労した名城です。
その後戊辰戦争では、隣の藩の会津藩と共に白河口で戦い、そして大坂の陣以降唯一、城を枕に討ち死にした藩となりました。
それはきっと、降伏すれば道案内を兼ねた先鋒となって、それまで一緒に戦っていた会津を攻めなければならなくなるからだとも思います。
それを潔しとせず、「義」の為に戦い、そして散っていった二本松藩の崇高な精神を、福島県出身の者としてとても誇りに感じます。
(それにより、更にたくさんの悲劇がおきましたので、何が正しいかは分かりませんが・・・。)




2021.008.16 ボビーマジック
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